硫化水素自殺が米国に波及

おそらくインターネットの情報が、翻訳されるかして、米国でも硫化水素自殺が広がっているようです。日本と同じように、家庭用の入浴剤や洗剤などを混ぜ合わせて、「危険硫化水素発生中」という張り紙が外に張ってあるそうです。アパートの部屋などでの自殺が日本では多かったようですが、米国では自動車内で死んでいる例が多いとか。自動車だったら、排気ガスを引き込むという手もあると思うのですが硫化水素というのは、やはりインターネットに影響されて、という印象を強くします。


http://wiredvision.jp/news/200903/2009031620.html


最後の一文によれば、日本では硫化水素の発生に関する情報を「有害情報」に指定して取り締まったことで、硫化水素による自殺は半減したと書かれています。テレビや新聞、雑誌等マスメディアによる硫化水素による自殺法の説明も、同時期に収束しているので、インターネット上の情報を取り締まったことで、自殺が減少したのかどうかは一概には言えないように思います。


ただ、爆弾製造法と同様に、これらの情報も野放しにするのは、何か危険な気がします。銃や刀剣が殺人を犯すわけではなくて、殺人や強盗を犯す意図をもった人々や激情にかられた人々が、銃や刀剣を振り回すわけだから、人々にそのような考えを持たせない社会をつくればよいという理屈もありますが、現実に日本では銃や刀剣を取り締まることで、殺人や強盗殺人の件数が抑えられているという推論も積極的です。


政府や社会の多数派にとって不都合な情報や、(少数であっても)ある特定の社会集団が単に気に入らないという情報(ヘイトスピーチや差別的言辞は何らかの取締りが必要と思います)を制限することは、社会の健全な機能を維持する観点から見ると問題ですが、自分や他人を殺傷する手段となりうる情報については、もしかすると何らかの制限・制約を設けるべきなのかもしれません。しかし、この制限・制約が、社会の健全な批判機能や表現・言論の自由を制限する情報統制につながることは避けなければなりません。何度も議論が繰り返される問題ですが、均衡点を見出す努力を続けなければならないと思います。もしくは、アドホックな対応を繰り返しながら、その対応が情報統制に陥らないか絶えず批判を続けるしかないのかもしれません。