本日のゴリラ


夕メシを作って食いながら、次の番組を見た(お、気づくと今日は「である」調だ)。


「ゴリラ先生ルワンダの森を行く」(NHK総合、19:30〜20:45)


26年前、ルワンダの森でゴリラと過ごした類人猿学者の山極寿一京都大学教授が、ルワンダのゴリラたちを再訪した様子を追ったルポルタージュ


ゴリラは通常「シルバーバック」と呼ばれる成人のオス1頭を中心にメス数頭とその子供たちから構成される群れで暮らす。しかし、近年複数の若い「シルバーバック」が同居する群れが増えているという。番組の中軸は、この謎を追うことだ。加えて、山極さんは、おそらくゴリラの密猟者によって1985年に殺されたダイアン・フォッシーの墓参り(彼女はバーボン好きだったそうだ)や、26年前に一緒に過ごした子ゴリラとの再会も、番組の中で果たしている。


同番組によると、複数のシルバーバックが同居するようになったのには、人間の世界の戦争が深く関係していると推測されているという。1990年からルワンダで内戦がはじまり、ゴリラの生息域に戦争を逃れた人間たちが入り込み、ゴリラの生息域が狭まる一方、次には隣接するコンゴでも内戦が始まって、森の逆側からもゴリラの生息域は追い詰められていった。


番組によれば、この結果として、次の2つのことが起こったと研究者たちは推測しているという。


1)子どもを守ろうとして殺される大きなシルバーバックも増えたため、複数の若いオスがシルバーバックと争って群れの外に出ずに、そのまま群れにとどまった。

2)通常ならば群れ同士の接触が少ないはずなのだが、生息域が狭まったために、多数の群れが出会って争いになる機会が増えた。この接触機会で、別の群れのメスを獲得するために、成人オスはその子どもを殺そうとする。子供を殺されるのを嫌って、メスが複数の若い成人オスがいる群れに移り、複数のシルバーバックがいる群れが大型化した。


この結果、複数の若いオスが群れにとどまるだけでなく、群れによってはもっとも体の大きいシルバーバック以外の若いオスがメスと交尾しても制裁が加えられない群れも出てきた。後者は、複数の家族が混在していたと考えられる初期人類の群れに近いという。


人間の世界の激変が、ゴリラの世界の社会変動を促し、それが初期人類の家族とその集団の発生などの起源を探る研究に接近していることは興味深い。


しかし、それにしてもゴリラは人間よりもよっぽど上等な動物のように思える。ゆっくり悠然と歩くシルバーバックの巨体は威風堂々、しかしその表情やたたずまいはとても穏やかで、おとなしく子どもたちの遊び場になる姿は巨大な父性を感じさせる。どこか物悲しい穏やかな諦念を浮かべたような表情と言い、まっすぐなまなざしと言い、とても美しい生物だと思う。


山極さんは、研究だけでなく、人間が祖先から引き継いできたその本質が何かというような人生において大事なこともすべてゴリラに学んだというが、確かに山極さんを見つめ返すゴリラの穏やかで優しい眼差しを覗きこむと、人生の真実見たいなものがあるような気がするものだ。ブラウン管を通してだとしても(我が家のテレビはまだCRTである)。「んー、んー、んー」とゴリラに語りかけて安心させる研究者たちの姿もどこか嬉しい。シルバーバックが笑い声をあげて(人間の笑い声とはまったく違うが)、子どもたちと遊ぶ姿は安心させるものだ。森へと帰っていくゴリラたちの後ろ姿は、はるか遠くから私たちが受け継いできた「人間性」が見える(だから、ゴリラ研究者たちは、ゴリラを「人」と呼んだりするんだろうなあ。


ちなみに、ゴリラの学名は「Gorilla Gorilla」。ルワンダ、今後の森に住むマウンテンゴリラの学名は、Gorilla Gorilla Beringei、というそうだ。